Monday, November 24, 2008

















(エディンバラ城・・・私たちの劇場{城の後ろにある})















エディンバラ2000
         デシモーヌ・ダニエル

昔々。。。私は高校生の時に演劇クラブにいた。演劇の先生は日系ハワイ人だったから和式演劇について習って日本への興味が始まった。それはちょっと関係ないが。。。でも演劇クラブの友達とセントスアンドポエトスという演劇劇団を作った。初めてしたのはヒューストンで上演したが一番面白い演劇経験はエディンバラでした。その経験は私の一番ドキドキした時だった。
8週間毎日毎日練習し会ってアルバイトもしてその夏を忙しく骨折ってひどい目に会った。私たちが選んだ演技は典型的なアメリカの連続殺人犯(人をたくさん殺す変な人ということ)の話だったがその時の私たちはそんな話するには若すぎかもしれない。その話の人物はみんな四十代ぐらいだったが私たちはまだ二十歳ぐらいだった。じつはもっと若い人物が登場した話を選ぶべきだった。でもがんばっていた。8月の初めにイギリスに行って一泊二日ロンドンに泊まったちょっとパーティーした後でエディンバラに行く電車に乗って将来の冒険をさがしに行った。
エディンバラフェスティバルが世界の一番有名な演劇祭りと言われた。でもその時(8月)に他のフェスティバルもある。それはエディンバラフリンジという祭りだ。毎年世界中からの人がその祭りに行って演技している。ほとんど演劇をしているがコメディアンや映画やダンスをしている人も来て発表している。その一ヶ月の雰囲気はすごく楽しく本当に祭りの感じられると思う。それとエディンバラはとてもきれいで古くて城がある町だから古代の王様の祭りみたいだと思う。毎日演技を見に行って毎晩国際人と飲める。お金持ちでエディンバラに行ったがびんぼうで帰った。
私たちのスケジュールは十三回上演をしなければならなかった。上演の時間は午後十一時半だった。というのは、その時に他の劇団の上演は少なそうだったから誘致合戦があまりないと思っていたがちょっと間違えた。。。
私たちの初めの上演の日準備をしているながら、ドキドキの感じが始まってちょっとおなかが痛くなった。トリスタンという友達に知らせた。「気持ち悪!ちょっと吐きたい」と言って友達が言った「まぁ、いいよ。吐いたら気持ちがよくなるから吐くべきだと思う」。吐いた後でトリスタンが言った通りによくなって上演できるようになった。
十一時に準備が終わって観客を待っていたが、二人しか来なかった。私たちの考え方はちょっと間違えた。他の上演と誘致合戦しなくてもいいことは正しかったが他のことと誘致合戦しなければならなかった:お酒。じつは、その時間にエディンバラにいる人はみんなよっぽらいになっていたからだれも私たちの演技を見たくなかった。たぶん十三回上演で五十人しか来なかったから始めに毎晩すごくドキドキして吐いたが、だれも来なかったからだんだんそのドキドキの気持ちが下がってきた。
元の有名な役者になる夢はもちろん敗れた。でもその代わりに私たちは毎日観光したり冒険を見つけたりできた。それと毎晩アブサンというとても強いアルコールを捜し出したからエディンバラにいた生活はとてもワイルドになった。例えばアンドルという友達はアブサンを飲んで低い山から落ちてしまった。(でも最後にその友達は大丈夫だった)。でも他のアブサンの話はちょっと危なすぎるから、内緒のことだ。。。へへへ。。。でも、もしマンハッタンにあるプロヒビションというバーに行ってトリスタンというバーテンダーに聞いったらたぶんその人から聞けるかもしれない。。。。。。
私たちの上演のためレビューはすごく悪かったから役者の夢をあきらめた。じつは、あまり上手じゃなかったから他のことをした方がいいと思った。でもその最後の演劇経験は一番よかったからいい終わりだと思う。

1 comment:

Mr. 2 said...

デシモーヌさんの二千年8月にエディンバラで芝居をした経験は本当に面白いです。「お金持ちでエディンバラに行ったがびんぼうで帰った」という結末は毎晩友達と酒を飲んだからですか。たぶん、この経験は青春です。
私は演劇の経験がないため、五十人の前芝居を上映することができると想像することができません。デシモーヌさんは8週間毎日毎日練習しても、上演の時依然緊張していました。本当にドキドキした経験だったと思います。